《ジャカランダの花と伊予山の辺の道を歩こう》

晴・れ・ま・し・た☀!

昨日までの大雨が嘘のように私たちのために雨雲が扉を開いてくれました。

雨に洗われた木々の葉っぱが目にもさわやかに心地よく揺れ、ウオーキング日和になりました。

今回は「美しい日本の歩きたくなる道500選」の1つでもある「伊予山の辺の道」の名所旧跡の一部を巡るコースです。

木屋町電停→片目鮒・紫井戸→龍仙院おこり地蔵→十六日桜→ロシア人墓地→足立重信の墓→ジャカランダの花→一草庵→護国神社(万葉苑)→松山神社→道後

 

 

 

木屋町電停前に集合。

みんな日焼け対策万全です

木屋町から民家の間を通り片目鮒の井戸へ

井戸は個人宅の門の奥の方にあり、あまりよく見えませんでした。

そして、その裏の方にある「紫井戸」へ

松山の七不思議の一つであった紫井戸 

昔は水が湧き出ていたそうですが、残念ながら今では涸れてしまい、

実際に紫井戸の水の色を確認する事はできませんでした。

 

 

続いては龍仙院のおこり地蔵へ

上段の右端がおこり地蔵です。

 

説明板には次のように書かれていました。

「広島で原爆の被害にあい、焼け跡で粗末になっていたお地蔵さんを住職の義母(西原ミサオ)が全部で七体自宅(広島市千田町)へ持ち帰り。玄関先にまつっていました。「おこり地蔵」はその中の一体です。

義母は「首なしではかわいそうじゃ」と言って、新しく頭をつけてもらいましたがそれが怒っているように見えたところから「おこり地蔵」と呼ぶようになりました。昭和45年、当院へ身を寄せた際、他のお地蔵さんと一緒におこり地蔵を運び安置しました。」

 

 

松山市の天然記念物に指定されている十六日桜(じゅうろくにちざくら)

いろいろな伝説が残されています

 次に訪れたのは日露戦争で捕らえられた捕虜たちが葬られているロシア兵墓地です。当時の松山の人たちはロシア兵を手厚くお世話し、ロシア兵たちに感謝されたそうです。ホイスマン大佐像とロシア兵の墓がロシアの方を向いて建っています。今でも市民や勝山中学の生徒さんが清掃活動などを行っており、いつでも美しい花が供えられています。

 

 

ロシア兵墓地のすぐとなりにある

足立重信の墓にもお参りしました。

足立重信は重信川の改修を手がけ、

堤防を強化するなどして川の氾濫をくいとめ、

松山繁栄の基礎を築いた人です。

 

 

 

墓地からいよいよジャカランダの花を目指します。

まだ散らずに咲いていてくれるでしょうか?

ドキドキしながら川辺を歩いていくと、遠くに見えました。

咲いてます。

 

 

花の前でみんなで記念撮影。

四国で見られるのは珍しく、ここのジャカランダは何年か前にブラジルから持ち帰ったものを大事に育てられたものだそうです。

★《ジャカランダの花》

ノウゼンカズラ科に属する。

別名:キリモドキ(花の姿が桐の花に似ている)。

熱帯アメリカが原産とされている。

花は円錐形(ラッパ状)で神秘的な美しさがある。

色は青または青紫色で、中には白色のものもある。

春から初夏にかけて咲く。南国の花なので日本の気候では育ちにくい。

花言葉は「名誉」「栄光」

南国の花なので日本の気候では育ちにくいが日本では宮崎県日南市と熱海で群生が見られる。

 

 

川辺にそって歩き、一草庵へ

一草庵は放浪の俳人種田山頭火が各地を放浪の末、終焉の地として

選んだ松山での終の住処として知られています。

松山で暮らしたのはたったの1年ですが、知人、友人たちの助けを借り

ながら多くの句を残し、充実した生活を送ったそうです。

 

左が一草庵玄関、右が山頭火がく暮らした部屋です。上の扁額は山頭火直筆のものです。

奥の仏壇の上には山頭火が被っていた網代笠が飾られていました。

 

 

護国神社の万葉植物苑を巡った後に、今回最後の目的地

「松山神社」(松山市指定有形文化財)に到着。

余力を振り絞って長い石段を頑張って上がりました。

松山神社は松山平野の鬼門に位置し、城下の泰平を見守っているとの事。

徳川家康公と菅原道真公を祀っており、「三つ葉葵の御紋」が随所に見られます。

社殿は全国に七社しかないという珍しい「権現造」りです。

また松山藩主の子孫である久松定武氏から譲り受けたという「飛梅」も植えられています。

1月下旬に見頃を迎えるという事ですのでぜひ来年の梅の咲く頃に訪れてみてはいかがでしょうか?

 

ゆったりとしたペースで「伊予山の辺の道」を巡った今回の催し。

地元にいながら知らない事も多く、知識も心も豊かになりました。

歩き終えてもまだまだみんな元気でした。

日々のヨーガのおかげでしょうか?

またどこかへ行きましょう!お疲れさまでした。